宮島の杓子産業の歴史は、18世紀後半に遡ります。あるお坊さんが収入源のない島民に産業を与えるため、弁財天の琵琶の形をヒントに考案し、始動したのが 始まり。杓子には、神社に納める祈願用のものやサイズの大きなものもありますが、宮島工業製作所では、主に生活に密着した実用的な杓子を扱っています。
昭和30年代まで、宮島には杓子を作っている家が何十軒もありましたが、プラスティック製品の台頭などにより、現在残っているのはわずか2軒。そのうちの1軒が宮島工芸製作所です。4代目の藤井佐武郎(さぶろう)さんは、大学進学から宮島を離れていましたが、25歳のときに3代目の父親が体調を崩したことをきっかけに、宮島に帰省することが増え、家業を手伝うようになったといいます。